2010年7月31日土曜日

とは言え、歌詞なら

(前回からの続き)

とは言え、歌詞ならいくらでも書けるのだ。
自分のことを投影させた、魂を込めた、自伝的なものを。
これが面白いところだ。
音楽の不思議な力を僕はそういう所に感じていたりする。
リズムやメロディーに乗せるべき言葉がするすると出て来る時、
それは自伝的であろうが、完全なフィクションであろうが、
何の引け目もなく僕は自信を持って世に送り出すことが出来るのだ。
そこに自意識過剰云々、という価値観そのものが無用。
音楽のない所での言葉書きでは、瑣末なことに気を揉むくせに、
歌詞だとバッサリ断定できるし、色んな解釈をしてもらっても結構、という態度でいられる。
誤解されたらされたらで、それがあんたのキャパシティだと言い切ってしまえる。
その気持ちの落差は実に面白い。

ま、そんなわけで歌詞について少し書いてみよう。
これなら少し書き進め易いかもしれない。

実は最初、僕は自分が書く歌詞については深く考えていなかった。
高校生から大学生になった頃は、辞書を引きながら英語詞で書いていたぐらいだ。
しかし、それではさすがに自分が歌う内容が直接頭に入ってこない、というので止めた。
考えてみれば、元々いい歌詞が好きだったのだ。
それなのに自分がいい歌詞を書けてるかどうかも分からないのは、もどかしかったわけだ。
そう。洋楽を聴き始めた中学生の頃から、僕はいい歌詞の曲が好きだった。
テレビで対訳字幕つきのブルース・スプリングスティーンの「リヴァー」を観た時は鳥肌が立ったものだ。直接英語は聞き取れなくとも、その意味さえ頭に入ってくればその曲のエモーションが直接伝わってきて、ゾクゾクするような感覚を味わえた。
その後、ボブ・ディランやミック・ジャガーの素晴らしき詩才にも感銘を受けたりしていた。

そういう自分を思い返しつつ、僕は20歳の時、初めて日本語詞に挑んだ。
最初はどんな風になるのか分からないまま、書いてはボツ、書いてはボツというのを繰り返していたように思う。
誰とも相談せず、それをやったところで何になるんだろうか、ということも一切考えず、孤独に創作に明け暮れていた。
日本語詞と言えば、自分の中では阿久悠さんの書く歌詞ぐらいしか慣れ親しんだものはなかったろう(実際「ウルトラマンタロウ」「ウルトラマンレオ」の歌詞にはかなり影響されていると思う)。
そんな中、自己流に進めていった。
作っていると歌詞のヴィジョンが頭の中に次々と行き過ぎていき、
そこから何となく音楽自体の飛躍も生まれそうな気配が出てきた。
そして、何とか人前に出せそうな曲が5曲ほど仕上がり、
その中から2曲を選び、デモテープをレコード会社に送りつけた事が、
今現在へと至るきっかけ、だ。
ポニーキャニオンのディレクターさんに気に入られ「1回東京に遊びにおいでよ」と呼ばれ、
大阪から東京へ日帰りで遊びに行った時、
「徳永君は自分がどこがいいか分かってる? 歌詞がいいんだよ」と指摘された時は、
「曲じゃねーのかよ!」と思ったりもしたが、内心はほっとしたものだ。
このやり方は間違ってなかったと思って。

ちなみに最初の5曲の中からは「気にしないで」「トンネル」が発表されている。
これは今でも新曲に混ざってライブで普通に歌っている。
ちなみついでに、当時のディレクターさんとも今でも親交あります。
昔の話だが、これは断絶の物語じゃないのだ。
ちゃんと今現在へと繋がっている。
そして、僕の孤独な創作も、まだまだ続いていくのだ。


BGM:Harry / Nilsson

2010年7月26日月曜日

自意識過剰

昨日から自分のことをじっくり書こうと思ってパソコンに向かっているんだけど、
大した成果が上がらんもんだな。
こんなこと書いたら誰かが傷つくかも…とか、
誤解されてしまうかも…とか、
自慢話してると思われるかも…とか、
雑念ばかりが頭をよぎってしまう。
一向にはかどらない。
書きたいことは沢山あった筈なんだけど。
なかなかうまいこといかないもんだな。

しかし、これは僕の性格が「控えめで思慮深い」だからってことではないのだ。
それは重々承知している。
実はこれも一種の自意識過剰が引き起こした事態なのだ。
恐ろしや、恐ろしや。
何の引け目もなく堂々と自分の武勇伝を書いてしまえる人と、
結局は同じなのだ。
ザ・自意識過剰。
両者はただ防御の仕方が、ちと違うだけだ。
むしろ自分の内側すべてを曝け出す豪快な自伝を書ける人の方が、
ある意味、自意識を突き抜けた解脱状態で優位なのかもしれん。

そう言えば、数年前こんなことがあった。
今まで一切公表していないと思うが、僕はルービックキューブが好きだ。
ある日、古澤ひかりと喫茶店で打ち合わせをしていた時、
彼女がトイレで席を立ったその間に、
暇だから机の横の棚にあったルービックキューブを解いて、
帰ってきた彼女に見せたことがある。
その時、古澤ひかりは何と言ったか。
「ふーん」
それだけで終わり。
あの時は恥ずかしかった。
得意気になっている自分を見透かされているようで恐ろしかった。
普段、天然気質丸出しの古澤ひかりだから、ついつい僕も油断してしまったのだ。
ついつい自慢してしまった。

本当、自意識過剰はいつ何時も人を落ち込ませる。
でも、だからと言って簡単に放棄できるものではない。
人それぞれ、色々と守っておきたいものがある。
昨日から自分のことをじっくり書こうと思ってパソコンに向かっているんだけど、
まぁ、そういうわけで、あまり進んでいないのだ。
さて、これから何を書こうやら。


BGM:Texas Tornade / The Sir Douglas Band