2000年12月31日日曜日

探偵さわぎ

僕が東京にはじめて出て来た時、住んでいた部屋。
その階下にちょっとした変人が住んでいた。
一日中大音量でラジオを聞いているくせに僕が物音を立てるとヒステリーを起こし天井をドンドンと棒で突き上げた。
お前の方がうるせーよ、と僕はしょっちゅうツッこんでいたものだ。
他にも色々とあって僕はその変人にはかなり不快な印象を持っていたのだが、
奴の部屋は玄関の前を通ると少し匂い、カーテンは一年中閉まっていて、窓には大きな亀裂が入っているぐらいだったのであんまり係わり合いにはならない方が得策だと思い、なるべく気にしないようにしていた。

ある休日のこと。
変人部屋にピンポーンとインターフォンが鳴り、訪れる人がいるような物音が聞こえた。
僕は珍しいこともあるもんだな、と思い窓を開け、上からその様子を伺ってみることにした。その変人は状況証拠から察するに無職であることは間違いなく、その頃には僕は一体こいつはどういう生活をしているのだろう…と興味を抱くようになっていた。
訪れた人はどうやら電気量販店の従業員らしかった。
何かの電化製品の設置に来た、と言っている。
変人はドアを開けて、招き入れているようだ。
会話が少しあるようだが、上からでは聞き取れない。
だけどゴチャゴチャと何か業者の人がせわしなく動いている様子は伝わってきた。
僕は階下が気になって仕方なくなった。
上から覗くといつも閉まっている筈の玄関のドアが開け放たれている。
そんな事は見たことがない。
いつもうすら寒くジットリと閉まっているだけのドアだ。
業者の声が聞こえてきた。
困ったトーンがする。
「あのぉ、この辺を片付けてもらえませんか?」
僕は色めき立った。
何かある!
電気量販店の人間がそんな風に訴えることなど極めて稀なことだ。
僕は我慢できなくなった。
見てみたい。下を。
僕はまだその変人野郎の実物をこの目で見たことが無かったし、当然その部屋の内部も見たことがなかった。僕は出かけるフリをして階段を降り変人部屋の内部を見てやろう、と決心した。
やるとなれば急がなくてはならない。
いつ業者が逃げ出すか分からない。
ドアもいつまでも開きっ放しではないだろう。
僕は急いでスニーカーを履き、下に気付かれないようにドキドキしながらソーッとドアを開け、あっという間にスタタタと軽快に階段を降りていった。

目に入ったのは先ず玄関に50センチくらいの層になっているゴミの山で、
ハッと気付くとそれは部屋の奥からせり出てきたものだった。
そして、瞬間的に古新聞を敷き詰めた鳥カゴのような匂いがムッと鼻をついた。
壁がひどく黄ばんでいた。
元々自分の部屋と同じものだった部屋がどうしたらこんな惨状になるのか…。
僕は予想以上の結果にショックを受けてしまった。
自分の部屋の下にずっとこんな世界がまとわりついていたなんて。
残念ながらその時人影は捉えられなかった。
変人と電気業者はゴミ溜め部屋の奥のほうにいたみたいだ。
僕は心を静めるためにそのまま外に出て、近所をしばらく散歩することにした。
しかし、心を静めているうちにあの異常さが怖くなって、今度はあの部屋の前を通って自分の部屋に帰るのが億劫になってしまった。
これはかなりの誤算だった。
知らなければ良かったのかもしれない。
1千万人以上が暮らしているここ東京には知らなくてもいいことが沢山あるのだった。
ま、1時間後ちゃんと帰ったんだけどね。
その時はもう変人ゴミ溜め部屋はいつもの様子に戻っていた。
ふぅ、である。

その深夜。
だんだん腹が立ってきた。
ずっと奴のインパクトのせいで僕はその日、奴の事を考えてしまっていた。
奴のおかげで僕の休日は台無しになったわけだ。
その休日に僕は他にやるべきことが一杯あった筈だし、
もっとリラックスして過ごせる筈だった。
それが、ばってん思いがけない精神的ストレスを蒙ってしまったのだ。
悶々と考えていると、ガチャと下の変人部屋のドアが開いた。
奴はいつも深夜になると10分ほど出掛ける習慣があった。
僕はそれを「変人のコンビニ旅行」と呼んでいた。
すると、鬱屈したストレスが僕にまた変な好奇心を起こさせた。
こうなったら今日は徹底的に奴に振り回されてやろうじゃないか。
僕はそう思うと、すばやく身支度をして玄関を飛び出した。
路上に出る。
すると50メートルほど先にぽつりとコンビニの方に歩いてゆく人影があった。
奴だ。
僕は探偵になりきることにした。
尾行でもしちゃろう。
競歩のように歩を進め、僕は奴との距離をだんだんと詰めて行く。
いくら近づいてもいいのだ。
追い抜いたとしても向こうは僕が上の階の住人だと知る由もない。
僕が10メートルほど近くに来た時、奴は案の定コンビニの明かりに吸い込まれた。
いよいよ顔を見る時だ。
その時がやって来たのだ。
僕は何でも無い顔をして、変人野郎に続いてコンビニに入った。
奴は早速立ち読みを始めている。
後ろからその姿を見た。

それはただのオッサンであった。

むさっくるしいメガネに突き出た唇、中肉中背でひよこっぽい髪型。
どこにでもいる普通の身なりのトータル・バランスの悪い、汚いオッサンだ。
見てしまうと実にあっけないものだった。
拍子抜けしてしまった。
こんな平凡な人だったのか。
コンビニを一回りして僕は帰った。
世の中には変人がいっぱいいる。
しかし、その殆どが平凡な人間なのだ。
僕の探偵さわぎはあっという間に熱を失い、終わった。


(2000年頃の文章を転載)

2000年10月4日水曜日

『眠りこんだ冬』(2000)

このアルバムから完全セルフ・プロデュース状態に入る。
というわけで、以前からやりたかったパワーポップ路線へと突入。
似合わないと言われて封印していたブルース・ハープやボトルネックも演奏するわ、
勢い任せに叫んでいる曲もあるし、かなり羽根を伸ばした状態。
今冷静に聴けばヴォーカルに力が入り過ぎの曲もあるが、
そういうモードだからこその青春っぽさ全開という気もする。
そう、これは青春をコンセプトに作られた作品だった。
曲調はいくらか若く、90年代前半に作られた楽曲が多い。
もうすぐ20代も終わるというこの時期に、今作らないとタイミングを逸する、
とはっきりと意識していた。
ギリギリのところで若さを爆発させたアルバム、といったところか。

1.フレンド(オア・ダイ)
1994年作。飲み会という理由だけで騒げなかったのは、若くてプライドがあったからだ。
30代を越えたら飲み会という理由だけでウキウキしてしまうよ。
昔は親睦会って言葉が大嫌いだった。そのいらだちが歌になった。熱い。
他の曲もそうだが、リズム録音は主に代々木ワンダーステーション。

2.気にしないで
1991年作。こういうナーバスな曲はもう書けない。まだ大学生だった。
寺谷さんはピチカートでも叩いてた激ウマなドラマー。スマートで洒脱。仕事人だった。
ピアノ・ソロは昔のデモテープそのままを鶴来さんに弾いてもらった。
PVは練馬の光が丘公園にて撮影。最初病院のベッドに乗りながら歌いたい、と言ったら
コロコロ付きの丸イスで妥協してくれ、と言われた。
因みにシングル・ジャケの案は僕が出したもの。
デザイナーの木村さんがそれをポップに仕立ててくれた。

3.ラブソング・ナンバー1
1993年作。東京に来た頃の気分がかなり投影されている。独りでもがいている人の為の歌。
タイトルはおちゃらけ、というよりは挑発。
ホーン・セクションはスリルの方々。はじめはもっと派手なアレンジだったのだが、
僕には豪華過ぎるように感じたので、とことん地味にしてもらった。申し訳なかった。

4.読書のポーズ
1995年作。これも青春の1ページ。
本は好きだけど、本を読む自分が好きって考え方もあるよな。
ドラム・パターンはキンクスを参考にした。寺谷さんは本当にタイトだ。
録音したスタジオは麻布だったんだけど、この頃サルが出没していた。(どうでもいい)

5.工業都市のため息
1996年作。ボブ・ディランの「おもいぞパンのビン」の一節「マンガ本と僕、僕らだけでバスに乗る」からインスパイアされて書いた。
何故だかレコーディングのことは(ギロを使った時以外)憶えていない。
だけど、出来としてはいいんじゃないだろうか。アルペジオが工芸品みたいだ。

6.トンネル
中学生の頃からオリジナルは作っていたんだけど、初めて本格的に日本語で書くようになったのが20才の時。この曲はその第一歩。というのは前にも書いたな。
若書きのようでいて、今でも歌える普遍性もあるような。
不思議だ。
等さんのウッドベースと、鶴来さんのピアノが柔和で美しい。1991年作。

7.80年代
1994年作…とは言えメロディー自体は高校生の時に作った。
それを引っ張り出してきて日本語を乗せたら、こういう歌詞になったと。
しかし、内容は90年代でも00年代でも適用できるんじゃないかな。
ガット・ギターを弾いているのはかなり珍しい。甘い音色が曲調に合っていると思う。

8.眠りこんだ冬
雪原を走るJR電車に乗った自分をただ描写しただけの曲。
アルバム・タイトルにもなって、当然ジャケットの世界ともリンクしている。
アウトロを途中でフェイド・アウトするかどうか、で非常に悩んだ。
でも、ベースの吉川君がこのアウトロを絶賛していたので残した。確かにこれは痺れる。
左右のダブル・ドラムを提案したのは坂田君。1996年作。

9.ひっこみじあん
1994年作。若さが持つ強さってのは経験の浅さに裏打ちされたものだ。
そして、若さが持つもろさってのも経験の浅さに裏打ちされたものだ。そういうラブソング。
凝ったコーラス・ワークは昔のデモテープを再現した。
そういった上モノの録音は、主に四谷天窓と同じビルに入っていたスタジオで作業することが多かった。

10.雨が降り続いた
1996年作。ギター・ソロは僕が最初に自宅で録ったデモのテイクを採用。サンプリングした。
二度と同じようなソロを弾けなさそうだったので。
全体の音の質感はまさしくエンジニア土井さんの世界。どっしりしている。
「リンゴン リンゴン」とは鐘の音。そして、次曲にも鐘が打たれる。

11.オカエリ・ファンファーレ
1994年。元々のタイトルは「オカ・エリロ・ボコン」。
作った当時、渋谷系が流行っていて、それを(誰にも知られぬよう)揶揄している。
オシャレさんが間違ってフランス語風に発音したら最高だ、とニヤニヤしていた。
で、中黒の位置がおかしいにせよ、念の為スタッフが東映に確認を取ってみたら、
歌詞で歌われる分にはいいけど、タイトルには勘弁、という返事だった。
というわけでファンファーレになった。
ヴォーカル録りの日は発熱していた。しかし、締め切りが迫っていたので強行。
PVは等々力の多摩川周辺で撮影した。最後に土手でワーゲンを運転した感触は良かったよ。

12.飛び出しナイフ
1992年作。歌詞は色々と書き直して、最後はパズル状態。数行しかないのに。
そして短い曲なのに、地味に何度も転調している。変だ。

13.マテリアル・イシュー
自宅のガレージでガス自殺をしたマテリアル・イシューのリーダー、ジム・エリスンに捧げた。
ダイアンとかヴァレリーとか、女の子の名前の曲が多かった人だった。1996年作。
ちなみに「気にしないで」のカップリングにした「不時着ヴァージョン」はリズム録りした時のヴォーカルをそのまま使ったもの。ヘロヘロでかっこいい。

ジャケットは越後湯沢の近くの町で撮影したもの。
(川端康成好きとしては、雪国と言えばここしかない)
自分にはアルバムを録音する前からコンセプトが見えていたので、
スタッフにお願いして、かなり前倒しで撮影に行ったのでした。



BGM: