2006年2月24日金曜日

一歩前へ

パッと見はポジティヴなフレーズだよな。
「一歩前へ」
うしろを振り返らず、前進あるのみみたいな。

でも、それが今日入った公衆便所の小便器に書いてあったんだよ。
清掃員が書いたんだろう。
「一歩前へ」
ギリギリに立った人に失礼だろ。
なんか無性に腹がたった。
ペン持ってたら「一歩うしろへ」と書き直してやったのに。


BGM:12×5 / The Rolling Stones

2006年2月20日月曜日

名前をつける 後編

つーわけで、過去最高に悩みました…今回アルバム・タイトルをつけるのに。
何週間も。
最初は曲名や歌詞から一部をもらってみるかなと思って、
色んなパターンを試してみた。
しかし、曲や言葉の端々が織り成す全体的なイメージを
ジャケ絵が既にバシッと表現していたので、全てそれに負ける…というか
また細部に引き戻すようなタイトルにしかなっておらず…
ダメだった。

それじゃ次に、とジャケ絵に関連する言葉で考えてみた。
実際目に見えてるものなら、タイトルらしく纏まるんじゃないか、と。
ブランコとか、靴とか。
が、案の定しっくりこなかった。
要するにそういうパーツひとつひとつは問題ではないという事だった。
ラーメンの具の名前をひとつひとつ挙げていっても、
結局は“ラーメン”という強烈な一言以上に、
それらはラーメン像を喚起させることなど出来ないっちゅう話である。
ラーメンってすごい完璧な名前なんだよ。
支那ソバとか言われても困る。

スワン。
ラーメン関係なし。
どうして「スワン」になったのか…。
簡単に言うと、自分のノートの中にその名前がポツンとあったからだ。
その「スワン」という言葉の響きと、
ジャケ絵が醸す雰囲気とが不思議に結びついていて、
それは何なのか?と自分なりに分析したらば、
きっとそれはこの女の子のアダ名なんだ!と、僕は思ったわけである。
そう、多分「スワン」とは女の子の名前なのだ。
歌詞、サウンドと照らし合わせても不自然な所がなく、
寧ろこちらが説明しようにもしきれていなかった、このアルバムの特別なフィーリングを上手くこの言葉が補っている感じがあった。
そして、今後しっくり来るような気がした。
それで決定。
黒田さんにもそう伝えたのであった。

しかし、しかし。
それがなんで「スワン」なのかは僕にも分からない。
白鳥だよな。
なんか終焉っぽい感じがするタイトルだ。
スワンソング?
まぁ、別にそれでもいいつもりで作ったけど。

おわり。

2006年2月18日土曜日

名前をつける 前編

『スワン』が発売されて早一週間。
皆様はもう手に入れられましたでしょうか。
良かった?
喜んでもらえてたら嬉しいところです。
もし良かったら、是非それを噂として流布させてやって下さい。
『スワン』ちゃんの為に。
なんちゅうか、そうやって広がってくれると
僕はとても嬉しい感じがするのだ、このアルバムの場合。
(『サイレンサー』は誰にも知られずひっそり聴くカンジか?)

しかし、さっきからスワン、スワンって書いているけど、
今現在このアルバムのタイトルが「スワン」として
ちゃんと罷り通っているのは、実はこの上ない喜び。
何故なら、このタイトルをつけるのが難産だったからだ。
大変だった。
いつもはジャケット制作に入る頃には大体アルバム・タイトルが決定しているんだけど、今回はアイディアが何にも無く、
黒田さんに対してもタイトルがあることでジャケ絵のイメージを狭窄させてしまうのはマイナスだと思ったので(歌詞と音だけで十分だと考えた)、あんまりタイトルに関しては深く考えていなかった。

タイトルをつけることになったのは、ジャケ絵が上がってきてからだ。
しかし、そこには変なプレッシャーが生まれていた。
自分の作品群にタイトルをつけるのは訳無いのだが、
その段になって、はたと気付いた。
これは黒田さんの描いた絵に対しても、
僕がタイトルをつける…ってことだよな。
お、恐れ多い。



(つづく)

2006年2月11日土曜日

『スワン』 (2006)

バンド編成としては5年振りとなる作品。…というわけで気合が入った。
5年を経ている空気感は自然と録音に落とし込まれるだろうという想定の元、
選曲には気を遣った。
その構想段階で男女に纏わる曲が多そうだったので、その路線で統一。
やっぱりアルバム毎に大まかなテーマを決めるとモチベーションが保ちやすい。
途中で何がやりたかったか、迷うこともない。
自分の曲に自信が持てるように、ちゃんと冷却期間も設けているし(その間で脱落していく曲もあるということだ)万全の心持ちだった。
リズム録音&ミックスは前作でも一部お世話になった大串さん。
特定の趣味性を出さない、バランスの取れたエンジニアさんで、信頼が置けた。
僕の意見を吸収し具現化させるのも非常に素早い、職人さんでした。
そして、このアルバムからは歌い方を本格的に変えた。
前作でも試していたのだが、感情を抑制してデコボコをなくす志向へと。


1.赤い髪
2004年作。録音はすべて自宅のハードディスクMTR。声は10本以上重ねてある。
この時期、クァルテット・エン・シーをよく聴いていて、コーラスに凝っていた。
譜面とか書けないので、頭がゴチャゴチャになって大変だった。
最後に頼りになるのは耳だけなので、部分部分に欲しいハーモニーを足して完成させた感じ。

2.コートを召しませ
1998年作。昔住んでた東武東上線の駅を思い浮かべて書いた曲。
このアルバムのリズム録音は代々木ステップウェイで行った。1日半で8曲分。
ちゃんとそれで成り立っている理由は、みんな巧いことと、僕という独裁者が決定権をすべて握っていること。民主主義なバンドではこうはいかない。
ドラムは小島君、ベースは吉川君。チェルシーボロでもお馴染みのメンツ。
音は全体にアンビエントの効いたライブな方向性を目指した。

3.7(セブン)
2001年作。ギターのチューニングはEADEAE(2カポ)。
変則チューニングの良い所は自分の中のコード進行セオリーが破壊されること。
これで自然と純度の高い創作になる。この曲はその点ですごく成功している。
デモを初めて聴いたレーベル・オーナーのサカモト君の感想は、
「どうして僕のことがわかるんですか!」
歌詞のことを言ってるんだろうけど、むちゃくちゃな感想だと思った。
録音前のリハーサルでスネアの入る位置を細かく指示して小島君に嫌がられた。

4.ブレーキ痕
2000年作…とは言え、サビは2005年初頭に完全に書き替えた。
弟が某音楽出版社のディレクターから歌詞の一部を書き直した方が良い、と言われたその一部が「ブレーキ痕」。絶対に間違っているその意見に何故か僕が反発し書いた曲。
ベースの動きに細かい注文をつけて吉川君に嫌がられた。
ギターソロはリズム録りしたその日に、勢いで追加。なかなかカッコイイ。

5.サンビーム
1999年作。ギターのチューニングはGオープン。志賀直哉の平成女の子版、という感じか。
サンビームという言葉は元々はヴァセリンズの曲から着想を得ている。
わかるだろうけど、書いた瞬間に傑出曲だと思ったので、すぐに当時のバンドで練習を開始。
『眠りこんだ冬』ツアーのアンコールに新曲としてやっていた。でも、タイミングが合わず、正式発表したのはこのアルバムになった。

6.パーソナル・ノー
1995年作。治らないと言われてた病気が本当に治るものか。そこがこの曲の肝。
歌詞は尋常ではないが、曲調はシンプルなギター・ロック。
しかし、それをそのままシンプルに気持ち良く演奏するだけでは物足りない、という気持ちがどこかにある。だから決して代表曲扱いにはしない。大切な曲ではあるが。

7.ジューンブライド
1996年作。小節を食うリズムのオンパレードで、これがリズム録音の難所だった。
結婚についてテクニックだけで書いたみたいだけど、
ちゃんと気持ちがこもっているので個人的には問題なし。
ライブで歌ってみたいけど、歌詞と歌詞が交錯する部分があるので、どうしても実現せず。
そもそも僕の曲はライブを念頭に書かれていない。

8.S(スピード)
一番古く1992年作。昔(1995年頃?)ポニーキャニオンの顔見せみたいなオーディションでこの曲を歌ったもんだ。その頃までは僕の代表曲だった。
いつしかその青臭さが気恥ずかしくなって封印したんだけど、
今回最後に1曲弾き語りを加えることになった時、何故かこの曲が頭に浮かんだのだ。

9.君へと傾くから
1997年作。「君」の相手が「僕」だとは一言も歌われない、実は悲しい曲。
小島君のドラムはこういうダイナミックな曲調によく合うな。冒頭の豪快なオカズもアドリブ。
僕は「しめた、しめた」と思いながら同時にエレキをグワンと弾いてました。
最後に福永君のヴィオラをオーバーダビングした。

10.僕らはこれじゃ終われない
2000年作。これは完全に僕自身のことを歌った曲で、
書いた瞬間に溜めてたものがどっと流れ出た感覚があった。
本当はもっと重厚なアレンジでトゥーマッチなぐらい盛り上げても良かったのだが、
このアルバムは曲の骨格がちゃんと分かるシンプルな形にしたかったので、これぐらいに留めておいた。
エレキのフィードバック音だけは確か高田馬場のゲートウェイでダビングした。

11.爪の匂い
2004年作で1曲目同様これも自宅録音。僕がキーボードを弾いている曲は、録音前にそのフレーズだけを一から練習して弾いている。かなり面倒くさい。
ただ、地道に少しずつ手をかけているフィーリングがサウンドに沈着していくのは悪くない。
譜面を書けないし、日常的に練習することもないので、後から再現できないのが難点だけど。
「故意」は「恋」に聞き違ってもOKだと思って歌っている。


ジャケットは黒田硫黄氏。そのいきさつについては→こちら
それに伴うタイトル命名については→こちら こちら
いいアルバムです。


BGM:

2006年2月5日日曜日

黒田硫黄、あらわる。

ニュー・アルバム『スワン』発売まであと一週間を切った。
早く皆様に聴いてもらいたいなー。
今回はポップですよ、ポップ。
シンガーソングライターとしての節度、矜持は保ちつつもポップ。
歌詞も全く手ぬるくはなってないけれど、ポップ。
自分の音楽に対してあれこれ言うのは照れるけど、
これだけは言わせておくれ。
「7(セブン)」は自分史上最強の1曲です、マジで。
楽しみに待っていて下さい。


ずるっと角度をかえて、ジャケの話題でも。
今回ジャケ画を担当したのは御存知、黒田硫黄氏。
某出版社を通じて出来上がったばかりの音源を聴いてもらいジャケ絵を依頼(用意出来るギャラが心許ないので音楽自体を気に入ってもらえることが大前提だった…)、
で、それを承諾してもらった。
初めはFAXだけで連絡を取り合っていたので一寸不安だったけど、
その後、恵比寿の喫茶店で初顔合わせ。
その時はやけに興奮したものだ。
調子こいて本人の前で黒田硫黄論、語るなっつーの。
いや、実は僕は前々から黒田硫黄ファンで、
1998年に『魂を救うだろう』でデビューした時に、それを速攻で黒田さんに送っているのだ。
いつかジャケットを描いてもらおうと思って。
もう8年近く前の話。
今回初めて会った時にそれを黒田さんが仰ってくれて(僕の方が忘れていた)
嬉しくて妙にテンション上がってしまったんだよなぁ。
で、話はトントン拍子で進んだ、と。

仕事ぶりに関して言うと、本当こちら側は文句なしの仕事ぶりだった。
内ジャケからCD盤面まで、ほぼ全体に渡って描いてもらっているのだが、全カット唸った。
打ち合わせの時でも、さらさらっと鉛筆で下絵を描くその絵ひとつひとつがいちいち巧いのも感心した。
(当たり前だっつーの)
あと下絵だけじゃなく、完成した絵に手直しするのも、さらさらものの豪快さで驚いた。
例えばジャケット表面の「ブランコに乗っている男性の足」に斜線が入っているのだが、これは黒田さんが出先のデザイン事務所で、急に思い立ってカクカクと描き加えたもの。
しかもその辺に転がっていたペンで。
そんな簡単なもんなのか?
躊躇なんて露ともしてないな、と固唾を飲んで後ろから見てたよ、僕なんか。
で、それにより絵がまた良くなったような気がしたんだから、また感心したんだよな。

10年以上前、コインランドリーに置いてあったアフタヌーンで『大日本天狗党絵詞』を初めて読んだ時に同世代の若人の喝破するエネルギーを感じて、
実際その人が僕と同い年だと知った時に感じたあの“歓喜”を求めて
今回ジャケットをお願いしたのであるが、本当それは正解だった。
(ちなみに黒田さんと僕の生年月日は2週間違い)
あれから10年以上が経ったけど、今回も見事に“歓喜”したよ。
黒田さんには大きく感謝したい。
そして支えてくれたレーベル、ディレクションズにも多大なる謝辞を。
(ちなみついでにアート・ディレクター加藤君とも、これまた生年月日が近いんだよな)

BGM: