高校を卒業し大学に入学するまでの春休み、小遣い稼ぎのアルバイトをした。
実家からチャリで20分程走った所にある紡績工場で。
そこはかなり大きな工場だった。
ガッタンゴットン、と絶え間なく大型工機のノイズが鳴っていて、
工場の入り口から続く細長い通路は先が霞んで見えないほどだった。
働く時間帯は「朝5時から昼1時」「昼1時から夜9時」の二つ。
それを1週間ずつ交代勤務していく。
僕はそれまで腑抜けた高校生活を送っていたので、
そのスケジュールがきつかった。
毎朝、暗い時間に起きるのはまさに試練。
しかも、労働自体もハードで、毎日退屈な繰り返し作業ばかり。
僕が担当していたのは、糸の精製の初期段階で使う機械のひとつ。
終業時にはいつもクタクタになり、休日は寝るだけになっていた。
また次の週が始まるという前夜には、相当に気が滅入ったものだ。
しかし、工場にはそれを何十年も続けているオッサンがいた。
無口なオッサンで、足を引き摺っていて(過去に機械に挟まれたのか?)、
僕がサボっていても何も言えない人だった。
その事実にも気が滅入った。
僕は自分の時給800円を指折り数えながら、いやいや仕事を続けた。
この頃、僕はアラン・シリトーが書くような労働者階級の生活を身をもって体験していたのであった。
さて。
ここからが本題なのだが、その紡績工場にはやたらと若い女工さんがいたのだ。
彼女らはみんなてきぱきと真面目に働いていて、
工場を回している原動力ぐらいのパワーを僕は感じた。
そんな彼女達、もちろん仕事中は私語を謹んでいるのだが、
休憩に入ると、みんな途端に元気に喋りだす。
それが何故か、東北弁なのだ。
僕は半分以上何を言ってるのか聞き取れなかった。
最初、全然事情を知らなくて、
僕は「なんか変なブームが来てるんだなー」などと思っていたのだが、違った。
彼女らは青森で中学を卒業した後、集団就職で来ている女の子達であったのだ。
誰もそんなことを事前に説明してくれなかったし、思ってもみなかったことなので、僕は驚いた。
終戦後の高度成長期にそういった集団就職があった、という話は知っていたけど、
現代でもまだそういう習慣が続いていたのか、と。
しかも、その人達が都会ではなく、自分の住んでいる町に来ていたのか、と。
全然知らなかった。
彼女達は町とは隔離された特異な環境、大きな工場の中で秘密のように生きていた。
だから僕なんかに知る由もなかったのだが。
工場の広大な敷地内には寮があった。
会社が責任を持って、彼女たちを預かっているという格好だった。
僕はバイト面接の時に「女の子には絶対に手を出さないように」と忠告されたことを思い出した。
おそらく彼女達も「地元の男には心を開くな」と教育されていたに違いない。
とにかく、彼女達はタフだった。
与えられた仕事を黙々とこなし、不満をこぼすこともなく、きびきびと動き回っていた。
そして、休憩時間になると、食堂で素早く食事を済ませた後、
(本当に息抜きが出来る)寮の自分の部屋へと帰っていった。
で、ものの10分もしないうちに寮から出てきて、
またいつもの労働に戻っていったのだ。
仕事が終わったら、その後、定時制高校へ行き、勉強するのだという。
僕は毎日クタクタだったというのに…本当にタフだ。
よく考えたら、僕は高校を卒業していたので彼女らよりも年上だったことになる。
情けないなぁ。
数週間後、春休みも終わりに近づいた時。
僕は短期バイトだったので、そこをあっさりと辞めた。
そして、新しい大学生活を向かえることになった。
話はここで終わり。
ぷっつり途切れる。
彼女らがその後どんな人生を歩んで行ったのか、僕はまったく知らない。
だけど、何となく今でも気になっているのだ。
工場は数年後に閉鎖された、という噂を友達から聞いた。
でも、僕は彼女達が今でもあの工場で元気に働いているような気がする。
そんなはずはないのだが。
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