2010年8月27日金曜日

ミニFM局

またまた中学生の頃の話。
前回にも登場した友人D君と僕は、ミニFM局というものをやっていた。
今で言うとPodcastやUstreamみたいな存在だろう。
トランスミッターというFM周波数を出す機械で、
自分達で作った番組を半径50メートルに向けて放送するのだ。
半径50メートル。
そう、たったそれだけの規模である。
しかし、実際に携帯ラジオを持って近所を歩き回ってみると、
ちゃんと自分達の声や選曲が聞けたのである。
これには思わずほくそえんだ。
FM周波数はたしか75.0だった。
全世界とつながってるネットもいいが、ミニFMもなかなかのものだった。
そして、これが80年代前半にちょっとだけ流行っていたそうである。

僕は全然詳しくなかったのだが、FM文化に憧れていたD君がそういうことに熱心だった。
当時は専門の雑誌が何誌もあるぐらい、FMは最先端で人気のメディアだったのだ。
ついでに言うと、D君は小林克也にも憧れていた。
ミニFMだったら、自分もすぐにDJになれるのである。
そんな彼が僕を勧誘した。
親がラジオ局に勤めていて、しかも家にレコードが沢山あって、
オープンリールとかミキサーとか特殊な機材も準備できる、
そんな僕を誘うのは当然の成り行きだった。
僕はすぐに乗り気になった。
そして、ミニFM局を開局することがあっさり決まった。
その話を父親に話したら、翌週にはもうトランスミッターが家にあった。
D君はその展開の早さに手をたたいて喜んだ。
うちの父親は新しいモノ好きで、
息子がラジオの真似事をすると聞いたからには辛抱ならなかったのだろう。
すぐに資料を取り寄せ、注文してしまった。
僕も自分の息子がギターを買いたいと言ってきたら、
すぐに買ってしまうかもしれない。
まぁ、そういうもんだろう。

「Yellow Kong Station」 これが僕らの番組名だった。
何とも絶妙に80年代っぽい「微妙な」ネーミングで恥ずかしい。
さすが中学生。
考えたのは確かD君で、僕はロゴとイラストを考えた。
そしてピアノでジングルまで作った。
「楽しそうなことしてるやん」と友人K君も仲間に加わった。
僕らは学校の10分間の休み時間にもわざわざ集まって、
番組についての会議をひらいた。
そんな甲斐もあり、放送は第一回目からうまくいった。
そう記憶している。
楽しかったのは楽しかった。
しかし、その一方で虚しさもあった。
そう。半径50メートル問題だ。
友達にこう言うことも考えた。
「明日、夕方4時頃、うちの近くにまで来てラジオを聴いてくれ」と。
しかし、それだったら普通に家に遊びに来ればいい話だった。
D君と話し合った結果、結局は番組をカセットに録音することにした。
そして、それを友達のあいだで回していくのだ。
もはやFMでも何でもなかったが、しょうがない。
聞いてもらってナンボだ。作るからには友達にも聞いてもらいたかった。

というわけで「Yellow Kong Station」のカセットは学校で出回ったわけだが、
これがなかなか好評を得た。
D君はもともと学校で人気者だったし、中学生が自分達で番組を持っていて、
好き勝手なことを喋っている、ということ自体が画期的で、かなり面白がられた。
次の番組のテープを早く貸してくれ、という声があちこちから起こった。
僕らはその声にテンションが上がり、暇な週末を見つけては番組を作っていったのだ。
ネタには事欠かなかった。
みんな音楽好きだったし、それぞれが好きな曲を持ち寄ってはそれを紹介していった。

残念なことに今現在、僕の手元にあの当時作っていた番組のカセットは残っていない。
つまり、誰かから誰かへと渡っていったカセットは僕の所には戻ってこなかったことになる。
アバウトだったから、特に貸し出しの台帳とかも作っていなかった。
まぁ、しかし、それを自分が今聞き返せないことは幸せなのかもしれない。
聞いたら絶対に赤面ものだろうから。
この歳になって赤面はイヤだ。


BGM:Surf's Up / The Beach Boys