1998年12月8日火曜日

『アイヴィー』(1998)

1996年から断続的に続けていた(休んでいた時期もあり)録音を最終的にまとめた1枚。
レコーディング・スタジオは延べ7ヵ所ぐらいに渡るか。
今なら1日に何曲も録っていくが、この頃は基本的に1曲毎にじっくりと作業。
あれやこれや悩みながらスタジオを使っていた。
今『アイヴィー』の制作費があったら10枚は余裕で作れる…。
時代はかわった。
そう言えば、ミックスまで完成しつつもお蔵入りになった曲が3曲ある。
その他、別ミックスなども多数。シングルのカップリング曲もあった。
とにかく色んなことを勉強させてもらった。
その経験は現在にも活きていると思う。
ジャケットのアイディアは結構ギリギリの時期になって突然閃き、
辻川さんに急いで電話したのを憶えている。
おかげで雑誌などで「Now Printing」状態になってしまった。

1.詩人
1994年作。『アイヴィー』セッションの最後の最後に、録音~ミックスまで代々木のワンダーステーションにて一日で仕上げた曲。僕にしては珍しく徹夜の作業になった。
1曲目なのでコンパクトにしようと思ったのだが、長くなった。でも、これでいい。
エンジニア土井さんのかけたエフェクトが緊張感あって好きだ。

2.夜はとても優しくて
クリックなしの弾き語りを録音した(本人はデモ録りのつもり)後から肉付けしていった、このアルバムらしい曲。というわけでリズムがヨレヨレ。
でも、味がある。今は無き六本木WAVEの上にあったスタジオでエレキをさんざん弾いたが、
うまくいかず(イントロの1フレーズだけ採用)、結局、高田渡さんとの共演でお馴染みの佐久間さんにエエ感じのエレキを入れてもらった。鶴来さんのエレピが最高。1995年作。

3.優しいマペット
ソプラノ・リコーダーは前日に練習したのをよく憶えている。
友達の友達に借りたんだけど、笛には女の子の名前が書いてあった。
ま、どうでもええわな。ハンドクラップはスタジオにいた何人かで録音。楽しかった。
マペットというのは「マリオネット」と「パペット」を合わせた造語らしい。
操られる上に優しいとは悲惨だ。1993年作。

4.オートマチック・ラブラブマシーン
1995年作。よく聴いたら「フンフン」とアコギ弾きながら鼻歌歌ってるな。なんて適当なんだ。
リズムマシンはローランドのドクター・リズム。音色はあれ1種類しか出ない。
シングル・ジャケのアイディアは辻川さん。何回もジャンプした記憶がある。
あと内ジャケの風船ガム写真だが、風船ガムってふくらますと白くなってしまうので、
あれは食紅を大量に混ぜこんだガムだった。強烈にまずかった。
PVは確か麻布の住宅地で撮影した。
一見ローファイなノリだが、周りにはスタッフがいっぱいでした。

5.魂を救うだろう
曲の終わり、よく聴いたらエンジニア大橋さんの「ほい(OK)」という声が聞こえる。ドア開けっぱなしだったのだろうか。

6.口封じ
1998年作。下手くそなジョン・フェイヒー風インスト。ギターのチューニングはEADEAE。
虎ノ門にあったポニーキャニオンのリハーサル室みたいなスタジオで録音した。
年期の入ったアナログのコンソール卓があって、渋いサウンドになった。
堀込君(キリンジのお兄ちゃん)がタイトルを褒めてくれたような気がする。
(1993年頃、デモ録音を手伝ってもらったことがあり)

7.コーラの秘密
女言葉になっているけど、これは歌い手を小島麻由美に想定して書いたため。
結局自分で歌うことになった。1997年作。
サビの高音が掠れているけど、これもアコギと同時に録ったから直せなかった。
等さんのストリングス編曲がカッコ良過ぎたので、わざとダサくしてもらった覚えあり。
鶴来さんのピアノ・フレーズが凄い。

8.プリントドレス
1994年作。女性を侮辱した曲ではない。むしろその逆。ドラムとオルガンは小島麻由美。
彼女が自分のアルバム用に予約していたアバコ・スタジオに突然呼ばれ、これを録った。
予約したはいいが、その日はやることがなかったらしい(担当ディレクターが同じだったのだ)。

9.ラッキー
1993年作で、その頃に録ったデモテープの音をそのまま流用している。
坂田君はしょぼいドラムマシンの音をヘッドフォンで聴きつつドラムを叩いているわけだ。
というわけでミックスが難しく、何度かやり直した。僕の耳も経験不足だった。
鼻の欠けたミッキーとは勿論ミッキーマウスのことだ。

10.いつまでも生きていたい
ギターのチューニングはEADEAE。
この曲もクリックなしの弾き語りを最初に録って(本人はデモ録音のつもり)、
そこにバンド・サウンドを重ねた。
そういう録音方法になったのは、まだ僕がスタジオに慣れてなくて、歌が硬かったからだ。
1998年作。当時、一番新しい曲だった。

11.アイヴィー
1998年作。ギターのチューニングはEADEAE。
アコギ&リズム隊はクリックなしのライブ一発録音。しかも、リハーサルなし。
最初の等さんベースの即興に引き込まれるうちに魔法にかかった感じ。
ま、いい曲はいいプレイを呼ぶのだ。それは経験上、確か。
演奏後、盛り上がったその場で等さんにストリングスを依頼。
最初は短い弾き語り曲だったのにエライことになった、と思った。

拙い部分もあるけど、ざっくり個性が見えていて、いいデビュー・アルバムだと、
久し振りに聴いて思った次第。
当時はあれもやりたい、これもやりたい、とまだまだ悶々としてたけど、
これぐらいのバランスで良かったのかもな。
 
BGM:

1998年8月19日水曜日

『魂を救うだろう』(1998)

デビュー作がミニ・アルバムになったのは、ディレクターさんの薦めだった。
録音は1996年から始めていたのに、まだ全体のイメージは散漫としていたし、
録音したい曲の候補は増える一方だった。
事務所が決まった事を機に、ここらで一区切り打って、
先ずは最初に名刺がわりのミニを出そうという話になったのだ。
僕も同意した。
1998年の時点で東京に出てきて5年経っていた。
その間ライブ活動もしていない。
何も起きていないも同然だった。
何かしら痕跡を残さなければ、という焦燥感があったのは事実だ。

今から思うと、この5曲の並び、バッチリだ。
(選曲はディレクターさん。勿論僕も納得の上でのリリース)
僕以外の人から見た「徳永憲」の個性がよく出ている。
しかし、当の本人としてはその辺りがよく分かっていなかった。
現在は(持て余しつつも)それなりに対処出来るようになったが、
当時は自分と自分の音楽との関わり合いは、ほぼカオス状態だったように思う。

1.ビルの屋上
南青山にあったラント・スタジオでベーシックを録音。
その後、別スタジオで等さんのウッドベースを入れて完成。
売れっ子スタジオ・ミュージシャンの凄さを思い知った瞬間だった。1996年作。

2.魂を救うだろう
これもラント・スタジオで歌とアコギを同時に録音した。
歌詞の最後の行は、本当は違う言葉の並びだったんだけど、
今歌った方が良かったじゃん、ということになり採用された。
野崎さんのチェンバロが素敵。いつかまた仕事をしたい。1996年作。

3.だから僕は眠るのか
ギターのチューニングはDADGAD。
最後はぷっつり切れる編集がされているけど、実際の演奏もそのすぐ後でぷっつりと終わる。
小品のつもりで書いたものが大作になっていく、そんな過程が垣間見える。
エフェクトはミックス時に3人で手分けして手動で動かした。1997年作。

4.夢の中じゃ
そう言えばこの5曲、今でもライブで普通に歌っているんだよな。
まぁ、僕の基本形なんだろう。辛辣さの按配がちょうどいい感じ。
ドラムは坂田君が2パターン叩いていて、採用になったのは激しいヴァージョン。
録音したスタジオは六本木の再開発の関係でなくなってしまった。1993年作。

5.わんわん吠えている
これは昔のデモテープそのまま。ベッドルームでカセットMTR一発録り。
1994年録音なので、ちょっと声が若いかな?


ジャケット制作は小島麻由美のジャケットでお馴染みのサリーさん。
僕は不慣れで意見が迷いどおしだったな。
タイトル曲は8ミリでPVも撮った。映像表現に疎かった自分が露になっていて、
出来は決して良くはないと思う。

BGM: