2005年12月25日日曜日

クリスマス・プレゼント?

今日の昼、なか卯でうどんを食べていたら
足元にお金が落ちているのを発見。
おっ、これはもしやクリスマス・プレゼント?と、僕は色めき立った。
どうやら前後左右の客、店員は気付いている様子はない。
僕はおそるおそるそれを拾った。
そして唖然。
七万五千円。
何故だか知らないが、その札束は生温かい感触であった。
こうごうしいまでの生温かさだった。

…が、情けないのであるが、僕にはそれをネコババする勇気がなかった。
すぐさま店員を呼び、それを差し出した。
まるで金持ちの御曹司のように。
もしかしたら、旅の修行僧のように(泣)。
店員は僕よりもずっと驚いていたよ。
そりゃそうだろう。
そんなお札が何枚も落ちていること自体稀なのに、
それをうどんすすりながら差し出す奴がいるなんて。

僕は言いたい。
もしあのお金を置いていったのがサンタだったのなら
もう少し程良い金額にしてください。
…いくらだったらネコババ出来たのかなんて判らないけれど。
(この前、銀行の両替機で千円見つけて行員に知らせたんだよな…)
うむむ、僕には度胸が必要なのか!?
どうしていつも人の金ばかり拾うんだ。

でも、今頃なか卯の店員達が呑みに行ってたらヤダなぁ(あの金で)。


BGM:

2005年12月3日土曜日

森がなくなった

森がなくなった。
うちのマンションの隣にあった森が。
正確には誰も住んでいない廃屋と野放しになった大きな庭が、である。
僕はこのマンションに引っ越してきた時から、
その廃屋と庭の木々達を総称として「森」と呼んでいた。
鬱蒼としていてそういう雰囲気だったのだ。
その「森」が今週取り壊された。
廃屋も、そこを取り囲んでいた10メートル級の庭の木々も、
根こそぎユンボーやショベルカーによって蹂躙されてしまったのだ。
僕はその「森」が大好きであった。
都内のゴミゴミした風景を遮ってくれるし、草木の自然の匂いがした。
珍しい野鳥は囀っているし、空気が澄んでいたし、何より四季折々の姿が美しかった。
濃い緑が幾重にも地面を覆いつくし、まるで絨毯みたいになっていた夏など素晴らしかった。
雪をかぶって静かに佇む冬の情景も美しかった。
新芽が見えたかと思うと一斉に勢いづく春も圧倒的だった。
ネコが落ち葉の上を歩く音を聞きながら昼寝した秋も忘れられない。
それが今週ドドドッという轟音と共に消え去ってしまった。
工事関係者の品のない笑い声、重機の音がこの耳にこびりついている。
イヤな感じだ。
でも、しょうがない。
僕がいくら不満を言ったって、どうしようもないことだ。
隣人の身勝手な要求にすぎない。
おそらく、その土地の所有者はその跡地を駐車場にしてしまうのだろう。
もしかしたらビルを建てちゃうのかもしれない。
金になる土地をいつまでも放置するわけにはいかない、と。
そんなことを窓を開け、ぼんやり考えていた昨日。
夕方その時。
突然下の階に住んでいる小学生が大声で叫んだ。
「木を切るなー!」

…カッコ良かった。
叫んだって無駄なことを叫ぶ小学生。
それでこそ子供だ。
もう木なんて全部切られて新地になっているのに今更「木を切るなー」である。
それは正しい。
もっともなことだ。
泣けてきた。
「森」が消え殺風景になった土地を見て、小学生にはその言葉しか出てこなかったのだ。
僕にもよく分かる。
出来たら僕も大声で「木を切るなー」と叫びたかった。
でも、無駄だと知っていたので、そんなことはしなかった。
大人だから。
多分大人になるのって、カッコ悪いことなんだろうな。


BGM:

2005年10月18日火曜日

雨は続く

白人男性に声をかけられた。
雨のなか、自転車に乗って信号待ちをしていた時に。
はて、道にでも迷ったのかな、と思ったら
何のことはない、ただの宗教活動だった。
やっぱり道に迷ってるじゃねーか、と思いつつも
そこはしっかりと断る。
大雨降ってる交通量の多い交差点で声をかけるとは相当図太い神経をしてる。
人の迷惑を考えろよ。
笑顔を絶やさないのも、やめて欲しかった。
「へぇ、そうなんだ、断る人もいるんだ、哀れに」みたいな目で笑うんだよ。
やめろ、バカ。
しばらく雨はつづきそうだ。


BGM:

2005年8月19日金曜日

アイスクリーム

体が疲れた時に食べると最高にうまい。
森永のコーヒーフロート。
昔はこういう「かき氷」系のアイスは好きじゃなかったんだけど、
最近はどうも嗜好が変わってきたようだ。
何故か無性にうまい。
真夏日が続いて、だんだん体力を奪われているなと感じたら、
コンビニへGOだ。
甘いぞ。


BGM:Repercussion / The DB's

2005年8月11日木曜日

セミ

東京のセミは狂っとるな。
こんな夜中でも鳴きまくっている。
…マンションから数百メートル先に大きな寺があって、
そこの林から響いてくるのだ、狂騒が。
お前ら、夜中にドンチャン騒ぎか。

僕が昔から知ってるセミは、もう少しわきまえていた筈だ。
午前中はニイニイゼミ、昼はアブラゼミ、夕刻はヒグラシ、と
ちゃんと時間通りに鳴いていた。
それが夏休みの風情ってもんだった。
しかし、それが東京のセミにはなっとらん。
風情関係なしに鳴きよる。

夜が明るすぎるのか。
夜でも暑すぎるのか。
幾ら何でもそれが何年も続くと、狂ってくるってか?
突然ひきつけを起こしたかのように「ギ、ギ、ギ」と鳴く奴も多いよな。
悪い夢でも見てんのかな。


BGM:

2005年8月10日水曜日

街で聞き耳を立てていると

今日は公園でベンチに座っている老人二人の会話を堪能した。
アカの他人の会話を盗み聞きするのが、とても楽しい。

何でも昔の学校の通信簿は、成績の優劣を1、2、3、4、5で表わすのではなく、
甲、乙、丙で表わしていたのだそうだ。
…というような内容を10分に渡って、彼ら老人二人は何度も何度も、繰り返し話してた。
僕は心の中で「ハイ、その話、今聞いたよ」と何度も突っ込んでました。

他に喋ることがないなら、
だまってればいいのに。

と、後ろから意地悪のひとつも言いたくなったが、
そんなことはしなかった。
だって彼らは「会話」がしたいのだ。
内容なんてどうでもいいのだ。
(盗み聞きしてる分際で、とても偉そうだ)


関係ないけど、この前テレビで見て「へぇー」と思ったんだけど、
巣鴨のとげぬき地蔵尊付近に集まっているおばあちゃん達って、
楽しそうに喋っている姿をよく目にするけど、
あれってその日その場所で、初めて会ったおばあちゃん同士で楽しくやってるらしいな。
一人でぷら~っと巣鴨にやって来て、服屋のワゴン・セールなんかを漁ってるあいだに何となく隣にいたおばあちゃんに話しかけ、即席の友達を作っちゃうらしい。
アカの他人だと、世間話にも花が咲き、お互い共通の知り合いも居ないので、
心おきなくグチを言える、ということらしいのだ。
ほとんど刹那ギリギリではあるが、超前向きな姿勢だな、と思った次第だ。
よく考えたら、極めて自己中心的な発想でありながら、
世界平和も見据えられてるところに「侮れないな、巣鴨のおばあちゃん。」
と思った次第である。


BGM:Blackboard Jungle Dub / The Upsetters

2005年6月26日日曜日

首が回らない その2

昨日、やっと揉んでもらったよ。
例の整骨院で。
しかし、激烈に痛かった。
たけし軍団なら大騒ぎだったろう。
ええ?
そりゃあ我慢したよ。
先週からずっと揉んでもらいたかったんだからね。
こんなに痛いことを望んでたんかぁ~って思いながら、
ぐっと堪えてた。
僕の首は昨日の時点で、かなり回復していた。
人並みに振り向ける状態にまで。
その自然治癒した部分を整体師はぐいぐい圧しまくってくれた。
ありがとう。
痛いよ。

そんでもって、その整体師の話によると、
どうも僕の首が回らなくなったのは重度の肩凝りが原因だったみたい。
日頃そんなに気にはしてなかったのだけど、
僕はひどい肩凝り持ちらしい。
おそらく偏頭痛もこれが原因だな。
ま、もう慣れているから、どうでもいいんだけど。

とりあえず首が回ればそれでいいよ。


BGM:Monk's Music / Thelonious Monk

2005年6月24日金曜日

首が回らない その1

先週はずっと首が痛かった(今もまだ少し)。
金曜日のライブも実は少し首を庇いながらやっていたのであった。
多分先々週の発熱の影響だろうが、
一時は殆ど首が回らなくて焦った。
全然振り向けないのだ。
左は15度、右はせいぜい25度位しか回らない。
上下も動かん。
めちゃくちゃ痛い。
原因は寝違いなんかじゃない。
午前中にいきなり首がつって、そういう状態になってしまったのだ。
痛くて、その日は夜もよく眠れなかった。
大変だ。

大変だというわけで、次の日整骨院へ行った。
こういう時行かないで、いつ行くんだと思って。
普段から行きたいなぁ、と思っていたこともあるし。
だが、整体師は(随分待たされたな…)僕の症状を調べた後、
何も言わずに冷やすのみ。
すぐに別の患者の方へと移っていってしまった。
僕は「おお、用意周到だな」と思って、
これからの治療を期待していたのだが、
なんと冷やし終わったら僕は帰されてしまったのである。
むち打ち用の白いコルセットを渡されて。
「これ付けておいて下さい」
ショックだった。
どうも、僕の首はひどすぎて治療が出来ないようだった。
圧したり揉んだり、を期待していた僕は完全に意気消沈。
がっくりだった。
そして、白いコルセットを首に巻いて、
自転車に乗って帰ったのである。
道行く人はビックリしてたよ。
そんな白いもん首に巻いて、アンタ自転車こいでんのかい、と。

いや、それにしても。
恐らく、その整体へ来ていた人間の中で、
その時僕が一番困っていた筈だ。
なんせ首が回らないんだから。
でも、治療なし。
隣でオバチャンが腰や膝を揉んでもらって
「ああ、気持ち良かったよ」なんて言ってたけど、
ものすごく腹が立った。
その程度で「来るな!」と。
でも、後々よく考えたら、逆だった。
その程度で来るのが適当なのだ。
あんまりひどいと相手にされない。
僕は白いコルセット渡され、帰れと言われたも同然だった。
くやしい…。

僕は「首が回らない」とはこういうことか、と思い知った。


つづく。


BGM:Blinking Lights And Other Revelations / Eels

2005年6月15日水曜日

更正しよう

ムチ打ちの刑がどこかの国で執行されたというニュースが最近あった。
今時そんなことやってんのか!
という怒りの声が人権団体からいかにも上がっていそうだが、
僕はまぁ、お国柄ということでそんな刑罰が現代にあってもいいんじゃねーの、ぐらいに思ってる。そうでもしなけりゃ犯罪が抑制されない国だってあるだろう。
ふむふむ。

それにしても甘いという話である、日本の刑罰が。
もっともっと厳しくしてもらいたいよな、本当。
死刑はあるけど、死んで終わりというのも…なんか実は甘いんじゃないか、と思う。
死刑にして欲しくて連続殺人をした奴がいたくらいで。それじゃいかん。
無期懲役なんてのも全然駄目だ。
刑務所でイイ子にしてりゃすぐに出てこれるんでしょ、あれって。
かと言ってアメリカetc.にある終身刑も気に食わない。
凶悪犯罪者に一生の寝床と食事を保証するみたいで。
納得出来ない。

というわけで、やっぱりあれだな。
終身マグロ漁船の刑。
これはいいぞ。
死ぬまで遠洋マグロ漁船で働き、国民の為にマグロを獲り続ける。
根性が叩き直されるし、社会から隔離されるし、立派な社会貢献にもなる。
もちろん、給料ナッシング。
出してもいいけど、その場合、全額を犯罪被害者への補償に充てる。
港にも下りられない。犯罪者だから。
ちゃんとインターポールが見張ってる。
でも、海の上では自由だぞ。
新鮮な海産物も食べ放題だ。嬉しい筈だ。
人権問題にも成り得ない。
何故ならそれを本業とする人も普通にいるからだ。
ちゃんとした奉仕作業なのだ。
国は刑務所をつくらず、今すぐ船をつくるべきだ。

この前刑が確定したスーフリの和田被告もこの刑が適当なんじゃないか。
世界の果ての大海原で見事に更正し、マグロを抱えながら
「熱い!ヤバイ!間違いない!」と
快哉をあげてもらいたいもんである。


BGM:Never Mind The Bollocks / Sex Pistols

2005年3月17日木曜日

中華定食屋

あれは真夏の夜だった。
チェルシーボロのバン練が終わったその夜、僕とおじいさんは高田馬場でさまよっていた。
どこかで夕食を摂りたく思っているのだが、うろうろと探していても今一つ決め手に欠ける店ばかりで、どうしたものか、と路頭に迷っていたのだ。
うどんじゃ物足らない気がするし、かと言って呑みたい気分でもなかった。
ブラブラしているうちに、繁華街の端の方にまで来ていた。
もうこの辺でそろそろ決めなきゃならんな…という場所で僕らは立ち止まった。
そこにその店はあった。一見チェーン展開風の中華定食店。
ガラス張りになった店頭には大きな宣伝タペストリーがかかっており、
「ジャージャー麺セット780円」
と書いてあって、その写真は実に旨そうであった。
店入口付近のホワイトボードには手書きのメニュー。
チャーハン・セット、餃子セットなど、手頃な価格設定で悪くなかった。
多分このパターンだといいんじゃないか。
僕はそう思った。
ちらっと店内を覗くと数人の客の姿が見えた。
こういう初めての店に入る時は客が入っているかどうか、が大きなポイントになったりするもんだ。
駄目な店だと閑古鳥が鳴いていて、それが何よりも真実を語っていてくれたりするのだ。
とりあえずここには客が3人はいる。大丈夫そうだ。
おじいさんも僕と同じ意見だった。
というわけで僕らは二人してギターを担ぎ、店に入っていった。
…今から考えると安易だった。


ここから悪夢のような出来事を僕らは経験する。
先ず店に入ってすぐに戦慄が走った。
「き、汚ない…」
店全体が雑然としていて、汚ないのだ。
外からはチェーン展開風タペストリーでうまくカバーされていて、見えなかった。
僕はもうこの時点で暗澹たる気持ちになった。
掃除や整理整頓をしていない店で旨いところなんてこの世には存在しないことぐらいよく判っていた。
「ああ、やってもうた…」
次にカウンターに座ろうとしてビックリした。
中華店によくある、床に固定してある赤い丸イス、あれの腰をかける丸い部分がないのだ。
そんなイスが幾つもある。
ありえない。床から鉄の棒が突き出ているだけ。
どうやったらそのイスに座れるのだろうか。
僕らは帰りたい気持ちを必死で抑え、突き出た棒イスをよけながら店の奥の方へと進んだ。
そこから先の光景はさらに汚ないものだった。
カウンターの上には雑巾が無造作に置かれ、ゴミ溜めのような厨房も丸見え。ステンレス製の業務用用具入れの戸は半分あいており、そこから古新聞、チラシ、ファミコンのコントローラー、食材なんかがはみ出ていた。
もう閉まらないらしかった。
僕らは仕方なくその奥のカウンターに座った。
因みに僕が座った丸イスは破れた皮の一部分をガムテで補強してあって、
そのガムテも破れているので、さらに上からガムテで補強してある優れものだった。
こういう歴史を経てこの丸イスもいつか「棒だけイス」になるのか…
と僕は思った。
ゴキブリ・ホイホイを頭の上に乗せたテレビがついていた。
画面はすごいゴーストで、何が映っているのかよく判らない。
僕は音を聞いてそれがナイター中継だとかろうじて判った。


店員がエゴイスティックにも注文を取りに来た。
何か食べないといけないらしい。
僕は困ってしまった。
何を選べば一番マシなんだろう。
考えた末、僕はチャーハン・セットにした。チャーハンと半ラーメンという王道セットだ。ホワイトボードの手書きメニューの中でも筆頭に書いてあったし、よく注文されるであろうメニューなら幾ら何でもそんな悲惨なことにはならないだろう、と踏んだのだ。
一方、おじいさんは「ジャージャー麺セット」に運命を託していた。
お互い考えていることは同じである。
おじいさんもあのでかでかと宣伝しているおすすめメニューなら、少しはマシなもんが出てくるだろうと考えたのだ。
しかし、ここで問題発生。
こんなに分かり易いメニューを注文したというのに、店員がよく分かってないのである。
「何?」というずうずうしい顔をして、無言でこっちを凝視してくる。
インド系の青年だった。外国人だからと言って差別するなんて僕の主義には全く反するが、
この店環境にして、こういう人をよこされると非常に頼りないと言わざるを得ない。
僕らが困惑していると、店の主人らしきオッサンが助け船を入れてきた。
インド君を介さなくとも聞こえてるよ、的な立ち振る舞いで「あいよ、チャーハン・セットとジャージャー麺セット」と不機嫌に言ったのである。
「あんた、頑張ってくれよ…」と僕は心の中で祈った。
しばらくすると「ジャッ、ジャッ、ジャッ、カツ、カツ、カツ」とチャーハンを炒める音がしてきた。
これは大丈夫そうだった。悲惨な感じではなさそうだ。僕は安心した。
テレビのナイター中継では丁度、誰かがホームランを打った。


悲惨だったのはジャージャー麺だった。注文してから10分は経っていただろうか。
(その時点で十分遅いよな…)
あのインド君がおもむろにザルにあげたホカホカの麺を持って、僕らの前に現れたのだ。
僕らの前には流し台があって、そこに来たらしかった。
おじいさんが「えっ」と小さな声をあげた。
僕は「かわいそうに」と心の中で線香をあげた。
インド君は流しの蛇口をひねり、真夏のぬるい水道水でぐちゃぐちゃと麺を手で揉み、
水切りもそこそこに立ち去ったのである。
完璧に味に無配慮な手さばきであった。
「まさか」と思ったが、
その10秒後、たった今の水浸し麺の上にぬるいタレがかかったジャージャー麺が登場した。
「ハイ、オマチ!」というカタコトの日本語とともに。
おじいさんは無縁仏みたいな表情だった。
僕の方はまだマシだった。
お盆にネギやご飯つぶが付着しているのに目をつぶれば、何とか自分を誤魔化せる味ではあった。
間違いなくマズかったのは確かだけど。
ふと横を見ると、おじいさんは人間の尊厳を奪われた顔をしていた。
インド君特製の手揉みジャージャーを半分残し、「もう限界や…」と僕に言った。
あの大食漢のおじいさんが残すとは、本当に珍しいことだった。
客はいつのまにか減り、ビールで独り晩酌をしているおじさんを残すのみとなっていた。
不思議だ。
どうして今夜はこんな店に、他に客がいたんだろう。
客の姿が見えなければ僕らはこんな店には入らなかっただろうに…。
僕らは今日という日の運命を呪った。


帰り道、僕の胃が急激にもたれてきた。
やっぱりダメなもんはダメなんだ、という事を僕は痛感させられた。
一体奴らはどんな油を使っていたのだろう。ものすごい胃もたれだった。
深夜になって眠りにつく頃になっても、それは全然治らなかった。
ベッドに入った僕に、腹の鈍い重さが色んなことを思い起こさせてくれた。
目を閉じると、脳裏にあの「棒だけイス」が浮かんできた。
あそこまでイスを使い倒すぐらいなら、昔は回転率良くお客さんが入っていたのだろうか。
あのイスを直さないのはそんな栄光の歴史にすがる為だからだろうか。
…どうでもよかった、そんなこと。
僕はその夜、なかなか寝付かれなかった。



※旧ホームページより転載