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2013年4月19日金曜日
一気に最後まで。
8.さよならの日々
最初、間奏部分はエレキギターのソロを激しく弾いていたんだけど、どうもしっくり来なかった。もしやと思ってアコギを使ってソフト路線に変更させたら、見事に的中。すごく良くなった。作者としてはパワーポップだと思っていたのに、プロデューサーとしての自分がそこを否定した、と。そういう予測のつかない顛末は間々あります。そこが面白い。2011年作。歌詞は表裏ない、これもまた喪失の歌。趣味は昼寝、と言っちゃうような人(僕も含む)に捧げる。
9.うつつを抜かしたとて
1998年作。大昔に新曲としてライブでやったこともある。当時は哀れなサラリーマンの話だと思っていたが、今考えるとどう考えても自分だったな。間の抜けた不思議な魅力のある曲で、こういう曲は意識して書けるものではない。ストックに入れると逆に分かる。しぶとく光って存在感を出してくるのだ。たて笛のメロは「ドレミファソファミレド」と簡単なのだが、意外と苦労した。途中ジャズっぽい4ビートになるが、初めは全編そういう曲調で考えていた。でも、リハーサルでメンバーに色々注文をつけているうちに、この形に落ち着いた。
10.暖かなもの
これも1998年作。僕がデビューした年だ。何か因縁でもあるのか。メロディーも歌詞も完成度が高かったけど、テーマがじじくさかったのでボツにしていた。で、やっと今回収まる場所が見つかった、と。ということは『ねじまき』はじじくさいのか?。ま、そのあたりの判断は聴き手に委ねよう。自分ではよく分からない。
そう言えば、リリース前にワイキキのサカモト君はこの曲をシングルにしようと主張してました。曲としては光栄な話だ。リハーサルでは、吉川君にベースラインで細かい注文を入れて嫌がられたな。スネアロールはダビングで、リズム録音の際に加えていたもの。3カポで弾いてる。
11.肩車の思い出がまた肩車をつくる
2011年作。これは震災後に書かれた。ペンを持つ手が震える感覚だな。頭の中でイメージが爆発しているのを必死に整理しようとしていて、手は手でその動揺を必死で抑えている。ただ内容は震災を限定したものではない。離婚の歌です、と言えばそう解釈もできる。重要なのはこれは「始まり」を歌った曲で、そこから人生が受け継がれていくということ。演奏はいつものトリオで一発録り。あとはアコギ、ヴォーカル1本ずつと、最低限のダビングのみ。2カポで弾いてる。
12.悲しみの君臨
小島麻由美と初めて会ったのは20年前(!)。その年月を経ての初めてのデュエット。メリー・ホプキンがカヴァーしたドノヴァンの曲みたいのを要望されたので、この曲を。2011年作。ノートを見たら2月10日と書いてある。震災前だな。歌詞がめちゃくちゃ暗い。でも、もう何も抜き差し出来ないレベルだったので、そのまま投げ出した。
PVはサカモト君がi-pad miniで撮ったもの。この景色見覚えあると思ったら、まさに20歳の頃によく乗っていた電車でした。遠くにぼんやりひらかたパークの観覧車が見えて切ないんだよな。因みに小島さんの録音は一緒に歌ったわけではなく、データのやり取りで完成。光ケーブルに乗って、東京をかけめぐり、デジタル化された小島さんの声がやって来た。『ねじまき』理念からは外れている。チューニングはEADF#BEで2カポ。
13.目に映る明るい夜
歌い出しの歌詞をツイートしたら炎上しそうだ。この曲も何故か1998年作。イントロからして実に堂々としていて、普通これはお蔵入りさせないよな。僕はバカなんでしょうか。でも、やっぱりアルバムは歌詞と歌詞の関係性で作っているから、こういうことになる。本能のまま曲を書いて、それが次作るアルバムのテーマと沿わなければ寝かせる、と。今回この曲が復活した大きなポイントは歌詞に他曲のエッセンスが見え隠れしていたから。全くの偶然だからこそ、そこを気に入った。チューニングはEGDGBE。坂田君は3つのパターンを叩いていて、それを混ぜている。おまけにそれにディレイまでかけているのだが、ちゃんと坂田君のグルーヴになっているのがいい。吉川君のメロディアスな即興ベースにも耳を傾けてあげて。