デビュー作がミニ・アルバムになったのは、ディレクターさんの薦めだった。
録音は1996年から始めていたのに、まだ全体のイメージは散漫としていたし、
録音したい曲の候補は増える一方だった。
事務所が決まった事を機に、ここらで一区切り打って、
先ずは最初に名刺がわりのミニを出そうという話になったのだ。
僕も同意した。
1998年の時点で東京に出てきて5年経っていた。
その間ライブ活動もしていない。
何も起きていないも同然だった。
何かしら痕跡を残さなければ、という焦燥感があったのは事実だ。
今から思うと、この5曲の並び、バッチリだ。
(選曲はディレクターさん。勿論僕も納得の上でのリリース)
僕以外の人から見た「徳永憲」の個性がよく出ている。
しかし、当の本人としてはその辺りがよく分かっていなかった。
現在は(持て余しつつも)それなりに対処出来るようになったが、
当時は自分と自分の音楽との関わり合いは、ほぼカオス状態だったように思う。
1.ビルの屋上
南青山にあったラント・スタジオでベーシックを録音。
その後、別スタジオで等さんのウッドベースを入れて完成。
売れっ子スタジオ・ミュージシャンの凄さを思い知った瞬間だった。1996年作。
2.魂を救うだろう
これもラント・スタジオで歌とアコギを同時に録音した。
歌詞の最後の行は、本当は違う言葉の並びだったんだけど、
今歌った方が良かったじゃん、ということになり採用された。
野崎さんのチェンバロが素敵。いつかまた仕事をしたい。1996年作。
3.だから僕は眠るのか
ギターのチューニングはDADGAD。
最後はぷっつり切れる編集がされているけど、実際の演奏もそのすぐ後でぷっつりと終わる。
小品のつもりで書いたものが大作になっていく、そんな過程が垣間見える。
エフェクトはミックス時に3人で手分けして手動で動かした。1997年作。
4.夢の中じゃ
そう言えばこの5曲、今でもライブで普通に歌っているんだよな。
まぁ、僕の基本形なんだろう。辛辣さの按配がちょうどいい感じ。
ドラムは坂田君が2パターン叩いていて、採用になったのは激しいヴァージョン。
録音したスタジオは六本木の再開発の関係でなくなってしまった。1993年作。
5.わんわん吠えている
これは昔のデモテープそのまま。ベッドルームでカセットMTR一発録り。
1994年録音なので、ちょっと声が若いかな?
ジャケット制作は小島麻由美のジャケットでお馴染みのサリーさん。
僕は不慣れで意見が迷いどおしだったな。
タイトル曲は8ミリでPVも撮った。映像表現に疎かった自分が露になっていて、
出来は決して良くはないと思う。
BGM: